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37代木村庄之助(きむら しょうのすけ、本名:畠山 三郎(はたけやま さぶろう)、1950年3月16日 - )は、大相撲の立行司の1人だった。高島部屋、熊ヶ谷部屋、大島部屋を経て引退時は友綱部屋所属。血液型はA型。 == 人物 == 青森県上北郡六戸町出身。4代木村玉治郎(後の27代木村庄之助)に入門。高島部屋に預けられる。 1965年7月場所で初土俵。初名木村三治郎より5代木村玉治郎襲名。1989年1月に十両格、2001年1月に幕内格。2003年1月場所に10代木村庄三郎襲名。2007年9月に三役格に昇格。 庄三郎時代の2012年1月場所4日目、大関把瑠都に送り倒された小結若荒雄とぶつかり土俵から転落して頭部を強打して脳震盪の疑いで救急車で病院へ搬送されて精密検査を受けたが〔行司の木村庄三郎、力士と接触し転落 病院で検査 日本経済新聞 2012年1月11日閲覧〕、翌日には土俵に復帰した〔救急搬送の行事・木村庄三郎 休まず出場「大丈夫」 スポーツニッポン 2012年1月13日閲覧〕。 2012年11月場所より、立行司39代式守伊之助を襲名〔理事会で行司、床山の昇進決定 日刊スポーツ、2012年9月27日〕。庄三郎時代に後援会より贈られた軍配を時折使用している。なお、庄之助の譲り団扇は、東京場所の横綱土俵入りのみ使用し、取組時は、庄之助昇格後から使用している軍配を使用している。そのため、譲り団扇を用いた取組はない。(定年後、行司装束と軍配団扇を故郷の自治体へ寄贈した際、取組で用いていた漆塗りの軍配がおよそ600グラムに対し、庄之助の譲り団扇が相当重いため、横綱土俵入りにしか使用しなかった、と説明した。) 2013年5月場所後、36代木村庄之助が停年を迎えたが、番付編成会議において翌7月場所は木村庄之助を空位とし、2006年3月場所以来7年ぶりに立行司は伊之助1人となった。 2013年11月場所より、2場所空位であった木村庄之助(37代)を襲名〔三保ケ関から阿覧ら6人が春日野部屋へ nikkansports.com 2013年10月3日〕。 現在同じ立行司の40代式守伊之助や、三役格6代木村玉治郎、幕内格木村寿之介は弟弟子にあたる。 時間いっぱいでの立ち合い前は、「時間ですっ。手を下ろしてっ!」。立ち合い後は「っけよ〜い、ながーたながーたながーたぁ」。勝負が決する前は軍配を返す動作をする。 2015年3月場所9日目に停年(定年)の満65歳を迎え、以前なら65歳になる前日の中日(8日目)が最後の捌きとなるが、規定が改正となり、場所中に停年を迎えても千秋楽まで務めることとなり、千秋楽をもって停年により引退となった〔死を見た木村庄之助 千秋楽が“千秋楽” nikkansports.com 2015年3月17日〕。なお最後の捌きは、横綱同士の白鵬-日馬富士戦。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村庄之助 (37代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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